よし

2004年3月7日
天気はよかった。
風も黄砂状態ではなかったし、ゴーグルが必要になるほどじゃなかった。
予報を当てにしてはいけないと、常々思うのだが、頼ってしまう何とも感覚が「現代」な自分が密かに口惜しい。

一日4鞍というスケジュールは初めてだった。
3頭に世話になった。
4鞍で、しかも3頭かわるがわるというのは結構めまぐるしい。
くせのある子やヘソを曲げてる時の子とは、2鞍は欲しいな。

馬もリズムも変われど、体が乗り方を覚えていくのが、1周ごと、1鞍ごとに分かる。
たのしい。

休憩時間のおしゃべりもたのしい。色んな馬の癖と性格を伝え聞く。安い馬具の手に入れ方を聞く。馬乗りの楽しみ方はそれぞれだ。「馬」に関してえらく知識や情報のある人もあれば、「乗るのは半分にして残りはただ好きな馬に会いに来た」と、馬のためにリンゴを切り、ひたすら馬に見入っている人もいる。
こういうのを「シェア」と言うんじゃないか?

「全体によくできてる」
褒められちゃったよ。うれし。
「あとは脚の扶助をする時も目線を落とさないこと。」
おや、自分で思っていたことは挙がらなかった。
自分では
・軽速歩の時、目線をあげ、肩をやや後ろに引くこと
・手綱は今より短くていい
・回転時の開き手綱のタイミングと開き具合
だな

からだを特定の形に使っていくことは、学生を終えてから殆どして来ていない。子どもの頃、色んな体の動きをするのが楽しくて、カン蹴りやドッジボール、スキー、スケートetc.時間がもっとあったらいいのにと、いつまでも遊び続けたかった。

お仕事コミュニケーションだって、目に見えなかろーと身体活動のひとつじゃないか。具体的に見ていけば良いこと。
「待て」「もう一度」だ。諦めずに。
行けるってp(^^)q

往きのバスの中では山本夏彦氏「毒言独語」
こういう頑固さとユーモア(いや「洒落」だな)と筋の通り方がわたしは好きだ。
日本語がうつくしい。
「文化」と言えるものが命を持ってそこにあったことの証し。
「文化」が生きている身体と生命のある世界を前提にあるものなのだという話。

のべ3時間、息が切れるほど乗った後、気温の落ちた日暮れ、馬の手入れをする。

四肢は馬の命。一日付き合ってくれてありがとう。
球節(蹄のすぐ上の節)から蹄をきれいに念入りに洗い、オガクズが着いて皮膚の病気をしないようタオルで念入りに拭き、丁寧に馬体にブラシをかけ、水拭きし、蹄に油を塗る。
よし、「思い残すことなし」。

いいな、こういうの。
からだが軽い。

職場も変わってきてる。
納得のいく進め方を増やせてきている。
諦める必要はない。
だいじょうぶ。

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