不調
闘い切れなかった
「こういう日もある」とくくってしまいたいけれど
お猿さんに「反省」されては、反省せずばなるまい

集団の運営に当たり前のことは立て直せる
参加申込者の確認が遅れていた
これは申し込み方法をはっきりさせれば改善できる
参加者の体調は悪くなかった
あとは、環境
会場の広さが必要
室温調整がしやすいほうがいい
あとは、分かりやすい指示が必要
明確な言葉で、テンポよく進めること
殆どが既知の面子
ウォーミングアップはもう1つ2つ省いていい
主題は引き出せたし
当事者も自分の感覚の中心にあるものはつかめていた

開始冒頭の雰囲気は悪くなかったわけだから
やはり、運営上の問題
枠組みと申し込み方法を明確にすれば済む

シンプルに、シンプルに
ややこしく思えることにはどこか落とし穴がある
問題をはっきりさせれば、単純になる
すべきことははっきりする
大丈夫
自分で問題を複雑にしてしまうことはない
過度な心配から事を膨らませる必要はない
何をしようとしているかをはっきりさせればいい

ふう
特定の場面で「心配性」を発揮させるのが得意すぎて
消耗
この特技は、もう降ろしていい
物理的に行こう
この世のことだよ

おつかれ

夜、祖母を訪ねる
この2年程で緩慢に、彼岸に向かい始め、
忘却と回帰と、現在との間を行き来し、ゆっくりと向こうの世界にいる時間が増えてきている
一時は、そのいわゆる「呆け」と言われる状態に、叔父も叔母も従兄弟達も、そして本人も驚き、その現象を拒み、忌み、怒り、避けて混乱していた。祖母も、何もかも自分の手中にあった日常の「可能」が、氷河の突端が海に崩れていく時のように少しずつ不可逆な「不可能」になっていくことに対するどうしようもなさを、家族と自分に向けるしかない怒りとし、奇行に表現した。20年も前に先立った夫の写真にただ「早く迎えに来て」とひとり懇願していた。
母や、叔父叔母たちが、その状態を理解し、話し合い、得られる援助を得、出来る協力をし、祖母の自尊心をゆっくりと抱き取っていくと、彼女は「また、おかしくなっちゃったのよ」「あの時は、何でああしてたんだか自分でもよく分からなくてね」と、冷静に話し出した。

ゆっくりと、こちらが、向こう側まで祖母を迎えに行くように、手を握りながら、目の中のその世界に呼びかけると、ちゃんとそこに祖母はいる。

長い間、休ませていた鉱脈を、再び掘り始めるかのように、脈々と、古い話をし始めた。曽祖父と祖母のけんか、何故か刑務所の看守になりたかったと言う女学校時代。三つ指をつき、お茶を一杯出し、祖父の顔も見ずに祝言の日になっていたこと。祖母と私の話、母と伯母たちの話。冷たい井戸の水を汲んで、おむつを洗い続けた子育て。炭を使った生活。叔父を背負い、叔母の手を引き、母を隣人に預けて逃げた空襲。
骨壷の中の小さな石一つだけになって帰ってきた大叔父の話。酔うとヴァイオリンを弾き出した祖父のこと。

生き生きとほんの数年前のことのように繰り返し語り聞かせる話も、徐々に祖母の中でも手が届かなくなっていく様子が分かる。話しながら、遠くなっている感触を、話している祖母自身が一番感じているだろう。
信濃の古い歌を口ずさみ、体が覚えている発声する動きを、繰りかえす。
身体だけが、記憶の最後の砦になる。
細胞が、徐々に滅びていくに従って、記憶も砦を失っていくんだろう。

今日、祖母が最後に歌った信濃の歌は、身体だけがかろうじて紡ぎだす「音」に聴こえた。
口から出たその「音」を、もう遠くに行っている祖母自身が、再度耳にしなおし、ようやっとそこで記憶の痕跡を探しているんじゃないのか。
そんな気がする音だった。

こんな風にその日に向かっていく時、確実に、死は日常に混じり、また日が差して、死に入り、生に呼ばれ、揺り篭が揺れるたびに、あちら側に少しずつ身を譲っていくのだろうか。

祖母は、ひとりで、その行に入っている。

私は、時々祖母の手を取りに行く。

祖母はおそらく、私を最も的確に理解した人だ。

そして少しずつ失っていく。

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