命綱の使い方

2004年3月14日
友人宅へ

人ごみの中、仕事に使うものを探しにソニプラに
今はかなりきつい場所かも
物と人と色と音の半狂乱なお祭りに思える
おまけに探し物は不在
前頭葉がぐるぐる言いだし
途中いったん休みながら身体を運ぶ

やっとたどり着いたドアを開いた友人の笑顔はやわらかい
いっきにホッとする

先にたどり着いていたもう1人は、
そこに居るのもやっとのよう

お茶とお菓子と、ボリュームを相当に落としたBGM
大事な人が二人
日常は殆ど共有しないけれど
殺され具合も、戦い方も、生き残り具合も似通った3人
離れていながら、別々の孤独を持ち寄る

月1回ほど合流する
一人、二人欠けることもある

今日はいつになく、3匹しんどい
冒頭は、まるで解毒をするように外界に侵入された言葉を一回あふれ返らせる私に
2人は応えていないわけではない沈黙で応える
それで私は、軸を取り戻す
ここで必要ないものは、降ろしていい
それを二人にすぐさま思い出させてもらえる

2人が寝ている間、一人では進みづらい本を開く
側に横たわる人がいるだけで、本が読める

少ない会話の中で、ごくたまにはっきりとした笑い声が上がる
それぞれ勝手に「らしい」居方をしていることが分かりやすく現れる時に生じる笑い
こういうのを「理解」「肯定」と感じる

一番体調のきつい一人が夕方「これ以上具合悪くなって帰れなくなる前に」と身体を起こす

もう一人が動かしがたく明確に「駅まで送る」と言う

「駅まで送る」
そうか。この人はこういうことを即座に言える人なんだ
感嘆しながら、私も立ち上がる

往復20分ほど
「ありがとう」と「またね」以外の言葉を必要としない
沈丁花の匂いだけが強い

楽になってはならないわけはないのに、こうやって生きてる
病いを抱いても

生きるために病んだのなら、これ以上何の要求に応える必要がある
もう充分じゃないか
病んでも生きている
病いとなら生きていられる
それで、もう充分ではないの?

「長嶋さんの病床に、今見舞いに行く奴は鬼だ」と言った人がいるって
それを理解するなら、この病いも同じだと、何故わからない

やめよう
誰に何を怒っているのか、分からないじゃないか

眠らないと
明日は一日戦闘でしょう?

4年前、「闘う」って言葉の意味を知らなかった
知らずに苦痛と衝突を忌み、恐れてた
今は、まだうまい闘い方を知らない
それでも闘おうとしてる
(闘えていないのに?)

あたし、あたま悪いかも

それでも、いまは、自分を感じられてる
Leonard Cohen "TEN NEW SONGS"
今はこれが近いって、分かるじゃない
最善ではないかもしれないけれど
もう少し、ここにいたら
Bob Marley "KAYA"くらいに行ける

ほら
だいじょうぶ
行けた行けた(笑)

私もだいぶ命綱の使い方が分かってきたなぁ

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