旅先 -富山 井波-
2004年3月20日叔父は毎月彼の息子と彼の妹を連れて遠出をする。
彼の息子(私の従兄弟)は、体の自由が利かず自分では移動が出来ない。得意の何種類かの文章以外は話せない。
その数種類の言葉を発することができるようになったのもこの10年来、彼に自宅での
生活を断念してもらうしかなく、月に一度、父親の下へ3日間ほど外泊する以外は施
設にいるようになってから。
首の動かし具合と、手の微妙な上げ下ろしで意志を伝える。
叔父は妻を20年以上前に亡くしているので、
従兄弟が自宅で生活していた頃の10年ほどは、叔父の妹が彼と共に生活をした。
私は、学生時代も卒業後も、集団の中で迷子になってばかりいたので、その間3人と
会うことは殆どなかった。
迷路から頭を出せるかどうかと言う頃、叔母が時たま私にかまってくれた。数年前から
彼らの毎月のドライブに時たま同行するようになった。
父方は祖父の代から、バイクや車を乗り回す癖があり、叔父はそれが昂じて、壊れか
けたアメ車や英国車を買ってきては、好きなようにアレンジする。
私が知っている限りで、彼が持っているのは車5台とバイクが2台・・のはず。
常に2台以上は壊れている。
従兄弟は生れた時から叔父の車が揺り篭だったので、施設に入らざるを得なくなった時には、ずいぶん長いこと泣きぐずっていたらしい。
今も食事に出る時ですら東京から2県以上またがなければ納得しない。
車に乗れさえすれば機嫌がいい。
そこは私とも似ている。
但し彼の場合は叔父の運転でなければならない。
私も叔父以上にスリリングかつ安全な運転は知らない。
トラブルが生じるのは運転にではなく、車体に。
早朝の白川郷で朝飯によもぎ蕎麦
ここ2,3年の私たちのブームが蕎麦。
従兄弟は、美味い蕎麦を明確に知っていて、彼が流し込むように食べる蕎麦は大正解。
合掌づくりの棟々は、端正、丹精
見ていて芯から安心を得る
五箇山の合掌造りにも寄り、木彫の町井波
瑞泉寺前の通りは、木彫職人の城が続く
若い職人さん達が親方の前で励んでいる
合間に古物屋
窓際の切子硝子のシュガーポットに目が行く
大方切り落とした縁に、ごく細く深い葡萄酒色
殆ど分からないほどに、そのラインにリズムがついている
相性のいいものに、これだけ手の届く価格で出会えるのも珍しい。
皿の6分の1ほどが、一旦十数片に砕けたものに、鋼で直しを施した小さな九谷の輪花の皿を見つける。朝鮮の方の仕事で、日本人にはできない直しなんだそうだ。
鋼でつなぎとめられていても、弁柄のうつくしさはひけていない。
私はこういう姿に弱い。
叔母はかねてから捜していたと言う手入れのいい銀のキセルを煙草入れ一式で見つけた。
これほど状態のいい一式はなかなか見ない。
しかも蔵から出たばかりで東京では考えられない値。
すでにキセル用の葉は手に入れてしまっている彼女は、しばし迷って入手。
これで今年手に入れたばかりの羽織を着て、祖母がしていたようにキセルをふかせると言う。
私の今日最高の収穫はもうひとつの店で、
一度は見なかったことにしようと通り過ぎようとしたが、どうも虫が騒いで呼ばれた店
何かが今までと違う。
染付けもくらわんかも九谷もみなうつくしい。
けれど今日は違う。
これまで一度も切子硝子にこんなに惹かれたことはなかった
遊び心のある店だ
主がえらそうだがおおらかに、常連らしい客を「先生、先生」と呼びながらも大声でふんぞり返って仕入れや相場の話している。
嫌な声ではない。
店は天井が高い木造の日本家屋で奥行きがあり、薄暗く、居心地がいい。
3人を先に行かせている。
駆けるように、一通りあるものをくまなく確認する。
手にとりたいものを手に取る。
手の中で、それがどんな顔をするかを感じる。
この作業は自分を介する。
赤絵の相当にきめの細かい花鳥の珈琲カップを硝子棚からさっさと勝手に出す。
これも輸出用だそうだ。
1,2年前の私なら、この手のものを逃すことはなかったろう。
値もいい。このくらいはする。
物はいい。
でも違う。
これは、今日会えて、気の済むまで手に取れた。それでいいという品。
「先生」と呼ばれている男性は、近くの店の主だろうか。
私が染付けの中皿や猪口に移っていると、ゆっくりと先ほどの赤絵のカップを引き出し、手に取っている。
思わず「きれいですよね、それ。」と放ってみる。
「どちらから?」
私は忙しく染付けと硝子と九谷を見比べながら、「先生」を見ずに答える。
東京の骨董市の話を出されるが、私は市には余程のことがない限り足を向けない。人の多さで集中しにくいからだ。
戦前の白木屋呉服店から出たという水晶硝子の寸胴ポット
さっきの葡萄酒色のシュガーポットときっと仲がいい
輸出用に作られた九谷の灰皿
いい重み
背の高い踊り子とパトロン風の小男が並んでいる
おどけた浮き彫りの絵柄だが、ひっくり返すと小男が背中に回しているように見えた右手をちゃっかり踊りこの尻にまわしている絵になる。
この手の物に惹かれる今日の自分に驚きながら、決める。
主は、しぶとく赤絵のカップを2割引きで勧めるが、違う。
私が片手でもてあそんだ安い煙草ケースをおまけに付けると煽る。
切子硝子と灰皿
儀式的に値の交渉をし、手を打ち、おまけも付いた。
支払いを済ませ、呼びに来た叔父に気づいた時
「先生」が言った。
「この中からその二つを選ぶというのは、あなたなかなかですね。」
おだてたのかどうかは知らない。
「うれしい」と言うと
「まあ、中級くらいにはいってますよ。」
この人は、物のことを言ってるのではない。
物の見方のことを言っている。
再度真っ直ぐに言いなおす。
「うれしいです。選ぶ時というのは、自分の今の状態が出ると思っているので。」
店を出る間際に、「近くのお店の方ですか?」と「先生」に問うと、
遊び上手であろう店主が「違うよ、この人はね、大学の先生。心理のね。」
あた(^.^;)、そーいうことか。
名前を聞きたい誘惑にも駆られたが、そのまま店を後にする。
本当に必要ならば、必ずまたどこかで会うことになる。
旅先で、限られた時間の中で、どれだけ集中して物と出会うか
そういうことをし始めたのは何年前からだろう。
こういう言葉を聞けたのは初めてだ。
叔母と再度品を取りに行くと、先の店の女主が、私たちが品定めをしている間、入り口で人目を引いていた従兄弟の名を呼び「これ、接客してくれたお礼に」と従兄弟のための煎餅を一袋手渡した。
彼女が一番気を留めていたのは、終始従兄弟のことだった。
女主、主、「先生」
本当の収穫は、この束の間の「関わり」
ふと井波はいつかまた来ることになるのだろう、と思う
目指したはずの高山は、日暮れに通りかかる。
昔は城の門前であったろう大手町は、しっかり小都市になっていた。
彼の息子(私の従兄弟)は、体の自由が利かず自分では移動が出来ない。得意の何種類かの文章以外は話せない。
その数種類の言葉を発することができるようになったのもこの10年来、彼に自宅での
生活を断念してもらうしかなく、月に一度、父親の下へ3日間ほど外泊する以外は施
設にいるようになってから。
首の動かし具合と、手の微妙な上げ下ろしで意志を伝える。
叔父は妻を20年以上前に亡くしているので、
従兄弟が自宅で生活していた頃の10年ほどは、叔父の妹が彼と共に生活をした。
私は、学生時代も卒業後も、集団の中で迷子になってばかりいたので、その間3人と
会うことは殆どなかった。
迷路から頭を出せるかどうかと言う頃、叔母が時たま私にかまってくれた。数年前から
彼らの毎月のドライブに時たま同行するようになった。
父方は祖父の代から、バイクや車を乗り回す癖があり、叔父はそれが昂じて、壊れか
けたアメ車や英国車を買ってきては、好きなようにアレンジする。
私が知っている限りで、彼が持っているのは車5台とバイクが2台・・のはず。
常に2台以上は壊れている。
従兄弟は生れた時から叔父の車が揺り篭だったので、施設に入らざるを得なくなった時には、ずいぶん長いこと泣きぐずっていたらしい。
今も食事に出る時ですら東京から2県以上またがなければ納得しない。
車に乗れさえすれば機嫌がいい。
そこは私とも似ている。
但し彼の場合は叔父の運転でなければならない。
私も叔父以上にスリリングかつ安全な運転は知らない。
トラブルが生じるのは運転にではなく、車体に。
早朝の白川郷で朝飯によもぎ蕎麦
ここ2,3年の私たちのブームが蕎麦。
従兄弟は、美味い蕎麦を明確に知っていて、彼が流し込むように食べる蕎麦は大正解。
合掌づくりの棟々は、端正、丹精
見ていて芯から安心を得る
五箇山の合掌造りにも寄り、木彫の町井波
瑞泉寺前の通りは、木彫職人の城が続く
若い職人さん達が親方の前で励んでいる
合間に古物屋
窓際の切子硝子のシュガーポットに目が行く
大方切り落とした縁に、ごく細く深い葡萄酒色
殆ど分からないほどに、そのラインにリズムがついている
相性のいいものに、これだけ手の届く価格で出会えるのも珍しい。
皿の6分の1ほどが、一旦十数片に砕けたものに、鋼で直しを施した小さな九谷の輪花の皿を見つける。朝鮮の方の仕事で、日本人にはできない直しなんだそうだ。
鋼でつなぎとめられていても、弁柄のうつくしさはひけていない。
私はこういう姿に弱い。
叔母はかねてから捜していたと言う手入れのいい銀のキセルを煙草入れ一式で見つけた。
これほど状態のいい一式はなかなか見ない。
しかも蔵から出たばかりで東京では考えられない値。
すでにキセル用の葉は手に入れてしまっている彼女は、しばし迷って入手。
これで今年手に入れたばかりの羽織を着て、祖母がしていたようにキセルをふかせると言う。
私の今日最高の収穫はもうひとつの店で、
一度は見なかったことにしようと通り過ぎようとしたが、どうも虫が騒いで呼ばれた店
何かが今までと違う。
染付けもくらわんかも九谷もみなうつくしい。
けれど今日は違う。
これまで一度も切子硝子にこんなに惹かれたことはなかった
遊び心のある店だ
主がえらそうだがおおらかに、常連らしい客を「先生、先生」と呼びながらも大声でふんぞり返って仕入れや相場の話している。
嫌な声ではない。
店は天井が高い木造の日本家屋で奥行きがあり、薄暗く、居心地がいい。
3人を先に行かせている。
駆けるように、一通りあるものをくまなく確認する。
手にとりたいものを手に取る。
手の中で、それがどんな顔をするかを感じる。
この作業は自分を介する。
赤絵の相当にきめの細かい花鳥の珈琲カップを硝子棚からさっさと勝手に出す。
これも輸出用だそうだ。
1,2年前の私なら、この手のものを逃すことはなかったろう。
値もいい。このくらいはする。
物はいい。
でも違う。
これは、今日会えて、気の済むまで手に取れた。それでいいという品。
「先生」と呼ばれている男性は、近くの店の主だろうか。
私が染付けの中皿や猪口に移っていると、ゆっくりと先ほどの赤絵のカップを引き出し、手に取っている。
思わず「きれいですよね、それ。」と放ってみる。
「どちらから?」
私は忙しく染付けと硝子と九谷を見比べながら、「先生」を見ずに答える。
東京の骨董市の話を出されるが、私は市には余程のことがない限り足を向けない。人の多さで集中しにくいからだ。
戦前の白木屋呉服店から出たという水晶硝子の寸胴ポット
さっきの葡萄酒色のシュガーポットときっと仲がいい
輸出用に作られた九谷の灰皿
いい重み
背の高い踊り子とパトロン風の小男が並んでいる
おどけた浮き彫りの絵柄だが、ひっくり返すと小男が背中に回しているように見えた右手をちゃっかり踊りこの尻にまわしている絵になる。
この手の物に惹かれる今日の自分に驚きながら、決める。
主は、しぶとく赤絵のカップを2割引きで勧めるが、違う。
私が片手でもてあそんだ安い煙草ケースをおまけに付けると煽る。
切子硝子と灰皿
儀式的に値の交渉をし、手を打ち、おまけも付いた。
支払いを済ませ、呼びに来た叔父に気づいた時
「先生」が言った。
「この中からその二つを選ぶというのは、あなたなかなかですね。」
おだてたのかどうかは知らない。
「うれしい」と言うと
「まあ、中級くらいにはいってますよ。」
この人は、物のことを言ってるのではない。
物の見方のことを言っている。
再度真っ直ぐに言いなおす。
「うれしいです。選ぶ時というのは、自分の今の状態が出ると思っているので。」
店を出る間際に、「近くのお店の方ですか?」と「先生」に問うと、
遊び上手であろう店主が「違うよ、この人はね、大学の先生。心理のね。」
あた(^.^;)、そーいうことか。
名前を聞きたい誘惑にも駆られたが、そのまま店を後にする。
本当に必要ならば、必ずまたどこかで会うことになる。
旅先で、限られた時間の中で、どれだけ集中して物と出会うか
そういうことをし始めたのは何年前からだろう。
こういう言葉を聞けたのは初めてだ。
叔母と再度品を取りに行くと、先の店の女主が、私たちが品定めをしている間、入り口で人目を引いていた従兄弟の名を呼び「これ、接客してくれたお礼に」と従兄弟のための煎餅を一袋手渡した。
彼女が一番気を留めていたのは、終始従兄弟のことだった。
女主、主、「先生」
本当の収穫は、この束の間の「関わり」
ふと井波はいつかまた来ることになるのだろう、と思う
目指したはずの高山は、日暮れに通りかかる。
昔は城の門前であったろう大手町は、しっかり小都市になっていた。
コメント