土曜に週明けの朝の仕事もほぼ片付けてあったし、と
いつも厳しい週明けを、少しは軽くしたかと思っていたら

昨夜、流せないメール
私が今の仕事に就くためのトレーニングを受けていた機関で
先輩、友人、スーパーヴァイザーとして
お世話になった人が
そこから離脱しようと言う

この人がいなくなったら、この機関は
軸を失ってばらりばらりと崩れてゆきそう、というのが私の予想

人の読み方、集団、社会の読み方の基盤もしっかり持っていて
相当な困難の中にあっても
人の病み方も病いの意味も理解していて
人を、集団を生かす方向にイメージを抱ける人

絶望感、無力感の大きい場が
こういう人を失っては
あの機関は持たないかもしれない

それならそれで、必要なことが起こるということなのかもしれない
一度咲き終わって、土に帰ってから
もし、その必然があるなら
新たに芽吹くことが
返ってできるのかもしれない

現実的な問題から、実と名を統合させて一寸先に離脱していた私が
本来なら何を言うべくもない

けれど、その胸中を
私と、彼の同期の2人にメールしてくる
その彼の言葉以前の思いはどうなのかと
聞きたくもなる

彼が選ぼうとしていることを
端が何と言えるというのか

彼の動向の早そうなことに押され

宵っ張りで書いたメールは
幾分独り善がりで過激なものになったかもしれない
が、制限のある時間のなかで
それでも取りこぼしたくないものは
伝えなければ



ぎりぎりのところで生きたいと思った時季があった
逆さにばかり生きて、ぎりぎりで生きてはいないと感じて
そういう自分が、自分の黒い洞の底のエネルギーを持て余して
茫洋と自分の輪郭を失っていくように感じて

私の「ぎりぎり」なんて、そう長持ちするものでもないし
ちっぽけな「ぎりぎり」だけれど
それでも、私にとっての「ぎりぎり」であればいい
そうであることが私には意味がある

けれど
まだ本当の「ぎりぎり」ではないと感じる
まだ本当のその「際」ではないと感じている
まだまだか

まだまだか



上司の体調が悪い
幹部クラスがこぞって状態が悪いために
私にまで、職場全体のコーディネイトに対する意見を求めてきた

これは相当具合悪くないか?
彼女にいまこういう崩れ方をされたくない
そう思ったら、シビアな対応になる

腹も立つが、そのほうがいい
こちらに渡されては困るものは受け取れない

私も、自分の領分ででさえ
踏ん張っているのでさえ「ぎりぎり」なんだけどな



「ぎりぎり」はぎりぎりでも、崩れるか否かのぎりぎりじゃないんだよ
そういうぎりぎりはもう重ねない
そうじゃなくて
ランナーたちが自分の記録の際で闘って、その先に自分を運ぶ
その線の「ぎりぎり」なんだよ
壊してくやつじゃなく
創っていく「ぎりぎり」

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索