修行好き

2005年4月27日
日常身近で起こることは、似たようなあんまりなことの繰り返しで、感覚も感情も切り離して動いてきた。

人が死ぬのも、傷つく人がいるのも、怒っている人がいるのも、哀しんでいる人がいるのも、どれも当たり前に思えて、言葉につながるものがないような感覚だった。

涙が出たのは、職場であんまり立て続けに人が身体を壊したり辞めたりするので、その後を引き受け続けるのにお手上げになった時と、施設入所になった祖母が空の上のだんなさんに「早く迎えに来て」とお散歩中にとつぜん切々と言った時と、それから1ヶ月して、3歳の曾孫の口から「おばあちゃん、ここで頑張るって言ったんだよ」と報告を聞いたとき。

涙も出ないような逝き方をした友人には、まだ難癖をつけることしかしていない。

人が死ぬのも、傷つくのも、哀しむのも、怒るのも、当たり前にあることだから、生きている人の言葉と、笑顔と、笑い声と、楽しげな様子と、しなやかで、たくましい賢さが、ありがたいんじゃないか。

過労の相棒が入院になったけれど、1週間ほどで済みそうだし、豪華な病室で入院ライフを満喫しているらしい。連休も含めてしっかり休んでもらえばいい。
やはり過労で流産するかと危ぶまれた新人さんも、一日の安静で無事峠を越した。
まだ事故は起きていない。

なんだって、あたしはこんなに丈夫なんだ。
まったく腹の立つ。

いやいや、「ありがたい」の間違いだろう。

つらい事があり、つらい人に添うほど、ありがたいと思えることが増えるって、しあわせじゃないか。

・・まだ皮肉っぽいか
 
修行修行

 

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