この週
2005年6月26日火曜、有給明けに出社すると、上司から急ぎの書類を依頼された
翌日の提出
裁判所に出されるかもしれないが、その前に、依頼者とその娘さんの今後に役立つといい
そうでなかったらこんなデータ、いくら学術的に妥当でも、毒か刃にしかならない
試験勉強をしていなかったら対応できない内容だった
データのインプットにも、アウトプットにも、まだ頭の錆びついた部分がぎしぎし言う
それでも2日間、めいいっぱい時間と脳みそを使うのは気持ちよかった
気持ちよいついでに夜、土曜に作るチョコレートケーキを試作
予想以上に美味い
木曜は妙に落ち着いていて
若い同僚たちと関るのが、いつになく楽だった
気がついたら焦る必要がなくなっていた
力をつけるって、こういうことだろうか
見方、感じ方が刻々変わる
嫌だったものの、好ましい面が見えやすくなる
その分自分というものの自由度が増す
夜、東京で講義を聴く
質のよい話が心地よい
金曜
今週は母が会いに行けないので、少し頑張って祖母のところへ行き、おしゃべりしてきた。
祖母の話は、やはり転々とするのだが、今日はやや状況に添った話からあまり他に散らばらない。
祖母の中で優先順位があまり変わらないのは、人に対する気遣いだったり「もてなす」気持のようなもののように思う。あるいは今の祖母なりのかっこつけかもしれない。
施設の他の入居者の様子に敏感で、何も出来ないながらに気持を示す。唐突な内容も伝わらないこと、返事が無いことも多いのに、祖母は側にいる人にそっと話し掛ける。押し入る様にではなく、そっと声をむける。
私に対しても、かならず、お茶やお菓子、食事の気遣いをする。
昼食が始まり、お膳がくると、デザートの小鉢にいきなりメインのナポリタンを一掬い危なっかしく突っ込み、ナポリタンの皿を私のほうへ押しやる。驚いて「おばあちゃんそれ、ヨーグルトだよ」とこちらが慌てていると「食べなさい。おいしいから。」とナポリタンの皿を再度押しやる。
自分の分は先に取り分け「あとはお前に」ということだった。
老人用に薄味で短めに切られたパスタを一口いただく。
この人は、人に多く分け与えることをどれだけ繰り返して生きてきたんだろうと思いめぐらしながら、祖母に礼を言う。
祖母はその時にはもう食べるのに夢中になっていた。
この日は少し、はっきりした表情をしていた。
夜、年に何度か開いているイベントの打ち合わせに自由が丘へ
散々笑って疲れを降ろし、帰ってくる
土曜の仕事の準備をする
どうも体が重いと思っていたら、熱発
気温が高いせいか
土曜朝、歯を食いしばりながら目が覚める。
何の夢を見たんだか。
午前の仕事の詰めをしながら職場に向かう。
久しぶりに緊張が強い。
ふと「丁寧にやれば大丈夫」と思い浮かぶとそれですっと落ち着く。
会社の前で上司と同僚が立っている。玄関のテンキーが故障して空かないらしい。30,40分してようやく警備が来た頃には、玄関前には理事長から役員から受付のお姉さん、お客さんまで勢ぞろいになり汗をしたたらせていた。
午前のセッションは、3ヶ月1クールで今日が最後の日
今回から1.5倍に伸ばしたセッションは、凝集性も安全度も上がり、意外な人が、意外な力と変化を見せ、こちらが鳥肌の立つようなしあわせを味わった。
本当に、人は顔が変わる。
きれいな顔と深い目をして向き合ってくる。
一番存在感をもって、その人が伝わってくる。
この仕事をやれていることに感謝するのはこういう時。
午後は大勢で、簡単だけれど美味しいチョコレートケーキを作っておしゃべりをしながら食べる。
2人、個別にお会いして、来週の準備と打ち合わせをして、今日は終わり。
大学の同期が、夕方東京で式をあげていたはず。
昨夜までで「精も根も尽き果てた」と言いくさっていた。
ばかもの
しっかりしあわせになりなさい。
今週、取りこぼしたものも、出来なかったことも、いくつもある。
それでも私は自分によいものばかりを食べて生きている。
贅沢だなあ。
ありがたい。
今こうして、こんなことを書いたりしていられてる。
翌日の提出
裁判所に出されるかもしれないが、その前に、依頼者とその娘さんの今後に役立つといい
そうでなかったらこんなデータ、いくら学術的に妥当でも、毒か刃にしかならない
試験勉強をしていなかったら対応できない内容だった
データのインプットにも、アウトプットにも、まだ頭の錆びついた部分がぎしぎし言う
それでも2日間、めいいっぱい時間と脳みそを使うのは気持ちよかった
気持ちよいついでに夜、土曜に作るチョコレートケーキを試作
予想以上に美味い
木曜は妙に落ち着いていて
若い同僚たちと関るのが、いつになく楽だった
気がついたら焦る必要がなくなっていた
力をつけるって、こういうことだろうか
見方、感じ方が刻々変わる
嫌だったものの、好ましい面が見えやすくなる
その分自分というものの自由度が増す
夜、東京で講義を聴く
質のよい話が心地よい
金曜
今週は母が会いに行けないので、少し頑張って祖母のところへ行き、おしゃべりしてきた。
祖母の話は、やはり転々とするのだが、今日はやや状況に添った話からあまり他に散らばらない。
祖母の中で優先順位があまり変わらないのは、人に対する気遣いだったり「もてなす」気持のようなもののように思う。あるいは今の祖母なりのかっこつけかもしれない。
施設の他の入居者の様子に敏感で、何も出来ないながらに気持を示す。唐突な内容も伝わらないこと、返事が無いことも多いのに、祖母は側にいる人にそっと話し掛ける。押し入る様にではなく、そっと声をむける。
私に対しても、かならず、お茶やお菓子、食事の気遣いをする。
昼食が始まり、お膳がくると、デザートの小鉢にいきなりメインのナポリタンを一掬い危なっかしく突っ込み、ナポリタンの皿を私のほうへ押しやる。驚いて「おばあちゃんそれ、ヨーグルトだよ」とこちらが慌てていると「食べなさい。おいしいから。」とナポリタンの皿を再度押しやる。
自分の分は先に取り分け「あとはお前に」ということだった。
老人用に薄味で短めに切られたパスタを一口いただく。
この人は、人に多く分け与えることをどれだけ繰り返して生きてきたんだろうと思いめぐらしながら、祖母に礼を言う。
祖母はその時にはもう食べるのに夢中になっていた。
この日は少し、はっきりした表情をしていた。
夜、年に何度か開いているイベントの打ち合わせに自由が丘へ
散々笑って疲れを降ろし、帰ってくる
土曜の仕事の準備をする
どうも体が重いと思っていたら、熱発
気温が高いせいか
土曜朝、歯を食いしばりながら目が覚める。
何の夢を見たんだか。
午前の仕事の詰めをしながら職場に向かう。
久しぶりに緊張が強い。
ふと「丁寧にやれば大丈夫」と思い浮かぶとそれですっと落ち着く。
会社の前で上司と同僚が立っている。玄関のテンキーが故障して空かないらしい。30,40分してようやく警備が来た頃には、玄関前には理事長から役員から受付のお姉さん、お客さんまで勢ぞろいになり汗をしたたらせていた。
午前のセッションは、3ヶ月1クールで今日が最後の日
今回から1.5倍に伸ばしたセッションは、凝集性も安全度も上がり、意外な人が、意外な力と変化を見せ、こちらが鳥肌の立つようなしあわせを味わった。
本当に、人は顔が変わる。
きれいな顔と深い目をして向き合ってくる。
一番存在感をもって、その人が伝わってくる。
この仕事をやれていることに感謝するのはこういう時。
午後は大勢で、簡単だけれど美味しいチョコレートケーキを作っておしゃべりをしながら食べる。
2人、個別にお会いして、来週の準備と打ち合わせをして、今日は終わり。
大学の同期が、夕方東京で式をあげていたはず。
昨夜までで「精も根も尽き果てた」と言いくさっていた。
ばかもの
しっかりしあわせになりなさい。
今週、取りこぼしたものも、出来なかったことも、いくつもある。
それでも私は自分によいものばかりを食べて生きている。
贅沢だなあ。
ありがたい。
今こうして、こんなことを書いたりしていられてる。
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