こころ遣い

2005年7月17日
金、土は3月に死んだ友人の郷に行ってきた。
突然いなくなったので、ずっと涙も出なかった。
彼女がいるというお寺さんに行き、まだ墓に入っていないお骨に線香をあげた。白い四角い物体が、妙に現実的に1人の人の不在をあからさまにする。

「連れてきました」と言って小柄なお母さんが遺影を包んだ布から出すのを見て、初めて涙がにじんだ。自分自身の、というより、お母さんの思いがたまらない。しばらく話を聞き、話せることを話し、友人が昔足を運んだ場所を見せてもらい、同行していた友人と2人、まるで娘代わりにされるかのように、小さいが嫌味ではないこじゃれた観光場所で硝子細工を見て、食事を共にする。
こういう時に人はこころを使われる必要があるんだと、お母さんといながら思う。同行の友人が、繊細に言葉をかける。
この人の、こういう時の洗練された感性に私は折々助けられる。

友人と前夜泊まった宿も、そこの飯も、友人がいるお寺さんも、食事をしたお店も、どこもよく手が掛けられていたことに救われる。
人も物も生き物も手を尽くされ、愛されている。
友人も、お母さんも、私たちも愛されている。

なんだよ、いいところにいるじゃないか。

線香をあげた場所は、まだ新しい本堂の廊下にあり、廊下づたいに続く大きな硝子から空が見え、木々が見え、鳥の声が聴こえる。
あの廊下の棚の上で、両足をぶらぶらさせながら、よく目にしたあの上目遣いのテレ笑いをして、彼女が座っている。そういう映像が、帰ってきてからも浮かぶ。

久々に車も運転できたし、会いたい人に会えたし
海に山に風に、蟹に魚に西瓜に温泉

かけあしでしたが、よい旅でした。

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