どんなだ

2005年9月24日
今週の大失敗から、からだに3Gくらいかかっていそうな感覚で、この2日ほど睡眠も短時間ながら泥の底に沈むような眠りになっていた。

昨夜、寝るのが遅くなり、今朝方1,2年ぶりに夢が記憶されていた。時々訪れる昔から馴染みの世界。
ここぞと踏ん張りの要る時の朝には何かを伝えに来る
向こう側に行き過ぎたのか、目覚まし五つはすべて鳴り止んだ出勤時間まぎわに目が覚める。
考える間もなく髪だけ洗って飛び出す。

午前中はもっとも集中力の要るセッション
3ヶ月で1クールの仕事の最終回
少し時間がかかったが、こういう調子の時だ。焦って無理に巻くのはやめる。あきらめる部分はあきらめる。
失敗が生きてくれているのか、自分の状態と、今日の参加者の状態を照らし合わせて、内容や進め方、自分の声の調子やペースの調整をできていたと感じた。
よかった。
静か目だった今クールだが、それを無理に引き上げるのではなく
ここまで来れたかな。
難しい初参加者も、目の肥えた癖のあるベテランさんも、初回とまったく異なるほぐれた顔になっていた。

午後、こちらも丁寧な踏ん張りも要るセッションだが、
常連さんたちと、少しなれてきた人たちと、初心者の方と、久しぶりに来ている方とが、バランスよくそれぞれの力を発揮でき、持てるものを持ち寄って、複合的で共有度の高い時間を作った感触がある。

夕方、個別にお会いした一人は大きな山を一つ越えていた
もう一方は、長い道のりを歩いてきて、ここのところ新しい段階に踏み入れている感触がある。

人がある形で出会う、集まる、そういうある時に生まれてくる力はすごい
それは誰か一人につくれるものではなくて、そこにいる一人一人が持てるものを持ち寄ることでつくれるもの

私はここにいて、場や設定をきちんと用意できれば、それを活用してもらえる。活用してもらえるように設定する。

そうすることで、集まる人たちから、私もちからをたくさんもらっている。

わたしは、こんなにも安全なところにいて、守られてしまっている。
私が傷つけたあの人やこの人や、あの人たちの痛みの上に。

自分の体の重さや、蛇ののたうちをどうにかするためではなく
相手がその状況の中であってもできるだけ安全であるように
それが必要なこと

人がむかしっから祈ったり手を合わさざるを得ないできたのは、あたりまえだな

今朝見た夢は
よく見る景色
昼間なのに逢魔が時のような、暗い赤茶に錆びた色の世界
泥にぬかるんだ仄暗い小路
片側にはトタンの壁にたくさんの敗れた貼り紙と落書き
薄く壊れそうな古い木造の家
今にも切れそうな裸電球
先は見えないが目的のあるらしい旅
広い廃墟がかった公園
見つけるのは、冒険し、サバイバルし、生きることと魂を活かすことを学び取っていく小さなギャングたち

傷つきながら生きていけることには、きっとタールみたいな光り方をする幸せがある
(どんなだよ、それ。苦笑)

 

 

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