さてさて
2005年10月22日向こう側から、こちら側へ
もうすでに来ているのかあ
試験の日は丸一日何があったんだか、記憶も定かでなくなるほど脳みそ絞った
もうこれ以上何も出ませんと、使われ慣れていない脳みそもしびれてしまったわ
平均点も、最高得点も毎年低い試験
厳しい感触でもおかしくはないけれど、明らかに「しまった!」と思うところが多すぎた
これは通らないな、と思う
通ってしまってもその後がなおさら厳しい
現状のままの条件では、次なるチャンスは無い
一緒に受けた先輩は「95%無理だな」とへーぜんと言う
この人にとってのこの試験と私にとってのこの試験とでは、人生においての位置づけが違いすぎるんだよ
この人はこれに通らなくたって、何をやっても生きていける人だ
私にはそうではない
彼もそのことを知っているからか、もぬけの殻な私をお茶とご飯に誘ってくれた(いや、単に暇だっただけかな。)
試験の数日前、仕事関連の学会への入会審査に通ったという通知が来ていた
幸先がいいと思った
準備も、自分の仕事の現状や心身状態を考えると、あれ以上は無い
できるだけのことをした
諦めなかった
もうそれでいいな
仕事を辞める後押しに受けたわけでもないけれど、その日はさすがに「仕事辞めたい」と言った
「何がしたいの」と言う目の前にいる人に「お料理と馬、家具のこと」てきとーを言い、その先に浮かぶ言葉を言いたがる自分に、がっくり
「仕事辞めて、結婚したい」
ずえ〜〜〜ったい言わない、それだけは言わない!
この人には言わない
たとえ思いはしたって、女友達には夢のように話したって、そんな風にしても私には自殺するようなもんだってこと、私もこの人もよく知ってる
そういうところに私の救いは無い
こんなんで、仕事に戻れるんだろうかと思った翌日は
職場に着けば、条件反射
からだというのは大したもの
目の上のたんこぶが落ちた分だけ、仕事をするのは楽
集中しやすい
仕事はできる
それでほっとする
先送りにしてあった仕事も、心配だったお客さんのことも
丁寧に確認して進められる
たまっていた洗濯物と、先送りにしていた約束と歯医者、外の仕事の打ち合わせと、試験が終わるのを待っていましたとばかりに珍しく本気で相談を持ちかける相棒と
そういう事々のひとつひとつにコミットできることがしあわせ
一人になると、少し迷子になる
先の不安はある
それでもとにかく仕事がある。大切な人たちがいる。ありがたい。
今はそれでつないでる
今日は試験前から気になっていたセッション
午前中は、前回よりは参加者が少なかったが、内容としては満足のいくもの
集中しやすかった
初めての参加で緊張しているお客さんの顔が、終わる頃に和らぐ
目の肥えた厳しい常連さんが「充実した時間でした」と言ってくれた
月2回のこの時間のほうが、ある意味では厳しい試験かもしれない
そういうところを見ていてくれているから、今の上司は私の首を切らないんだろう
ただ、自分のしていることを、公共性のある言葉でもって伝えられなければ、外の人には私が何をしているのかは分からないだろうし、この世界で自分を守っていくこともできないだろう
試験はその手段の一つでもあった
午後のセッションは、大人数
途中少々難航し、ややエネルギーは要したがいい雰囲気で終われた
何よりも参加する人たちが本当に一生懸命だから生まれる雰囲気
そういう風に、人が真摯になれる場にいられるから、私は生きていられるんだろうな
土曜のセッションの前は、いつも「もういやだ」といちばん思う
そうして終えた後の充実もいちばん
こうやって手に入れていくものか
夕方、仕事を終えてすぐ、叔父と叔母と従兄弟に電話をする
外泊で従兄弟が施設から帰宅していることを、昨夜叔父が電話でしらせてくれていた
年明けまで車で遠出はできないでいる3人に急遽会いに行く
重石が取れ、他愛ない話を喜べるのがしあわせ
10月、還暦を迎えた叔父にケーキを届け
4人でゆっくり食事をする
ほーらね、生きていられればしあわせも愛もこんなにあるのさ
さてさて
私は「愛」だったり「しあわせ」だったりって言葉で
いったい何を塞いでいるのか
きっとそれがもっとも怖いところかもね
もうすでに来ているのかあ
試験の日は丸一日何があったんだか、記憶も定かでなくなるほど脳みそ絞った
もうこれ以上何も出ませんと、使われ慣れていない脳みそもしびれてしまったわ
平均点も、最高得点も毎年低い試験
厳しい感触でもおかしくはないけれど、明らかに「しまった!」と思うところが多すぎた
これは通らないな、と思う
通ってしまってもその後がなおさら厳しい
現状のままの条件では、次なるチャンスは無い
一緒に受けた先輩は「95%無理だな」とへーぜんと言う
この人にとってのこの試験と私にとってのこの試験とでは、人生においての位置づけが違いすぎるんだよ
この人はこれに通らなくたって、何をやっても生きていける人だ
私にはそうではない
彼もそのことを知っているからか、もぬけの殻な私をお茶とご飯に誘ってくれた(いや、単に暇だっただけかな。)
試験の数日前、仕事関連の学会への入会審査に通ったという通知が来ていた
幸先がいいと思った
準備も、自分の仕事の現状や心身状態を考えると、あれ以上は無い
できるだけのことをした
諦めなかった
もうそれでいいな
仕事を辞める後押しに受けたわけでもないけれど、その日はさすがに「仕事辞めたい」と言った
「何がしたいの」と言う目の前にいる人に「お料理と馬、家具のこと」てきとーを言い、その先に浮かぶ言葉を言いたがる自分に、がっくり
「仕事辞めて、結婚したい」
ずえ〜〜〜ったい言わない、それだけは言わない!
この人には言わない
たとえ思いはしたって、女友達には夢のように話したって、そんな風にしても私には自殺するようなもんだってこと、私もこの人もよく知ってる
そういうところに私の救いは無い
こんなんで、仕事に戻れるんだろうかと思った翌日は
職場に着けば、条件反射
からだというのは大したもの
目の上のたんこぶが落ちた分だけ、仕事をするのは楽
集中しやすい
仕事はできる
それでほっとする
先送りにしてあった仕事も、心配だったお客さんのことも
丁寧に確認して進められる
たまっていた洗濯物と、先送りにしていた約束と歯医者、外の仕事の打ち合わせと、試験が終わるのを待っていましたとばかりに珍しく本気で相談を持ちかける相棒と
そういう事々のひとつひとつにコミットできることがしあわせ
一人になると、少し迷子になる
先の不安はある
それでもとにかく仕事がある。大切な人たちがいる。ありがたい。
今はそれでつないでる
今日は試験前から気になっていたセッション
午前中は、前回よりは参加者が少なかったが、内容としては満足のいくもの
集中しやすかった
初めての参加で緊張しているお客さんの顔が、終わる頃に和らぐ
目の肥えた厳しい常連さんが「充実した時間でした」と言ってくれた
月2回のこの時間のほうが、ある意味では厳しい試験かもしれない
そういうところを見ていてくれているから、今の上司は私の首を切らないんだろう
ただ、自分のしていることを、公共性のある言葉でもって伝えられなければ、外の人には私が何をしているのかは分からないだろうし、この世界で自分を守っていくこともできないだろう
試験はその手段の一つでもあった
午後のセッションは、大人数
途中少々難航し、ややエネルギーは要したがいい雰囲気で終われた
何よりも参加する人たちが本当に一生懸命だから生まれる雰囲気
そういう風に、人が真摯になれる場にいられるから、私は生きていられるんだろうな
土曜のセッションの前は、いつも「もういやだ」といちばん思う
そうして終えた後の充実もいちばん
こうやって手に入れていくものか
夕方、仕事を終えてすぐ、叔父と叔母と従兄弟に電話をする
外泊で従兄弟が施設から帰宅していることを、昨夜叔父が電話でしらせてくれていた
年明けまで車で遠出はできないでいる3人に急遽会いに行く
重石が取れ、他愛ない話を喜べるのがしあわせ
10月、還暦を迎えた叔父にケーキを届け
4人でゆっくり食事をする
ほーらね、生きていられればしあわせも愛もこんなにあるのさ
さてさて
私は「愛」だったり「しあわせ」だったりって言葉で
いったい何を塞いでいるのか
きっとそれがもっとも怖いところかもね
コメント