土曜日曜
2005年10月31日土曜
7月以来会いに行けていなかった祖母のところにようやく行くことができた20代の始めの頃、まだ祖母が呆けることをまだ誰も現実の問題として想定できなかった頃に「おまえはまだなのか(結婚は)」と聞かれた。
そのとき祖母は私に「一緒に”苦労”する人がいるっていうのは、いいものだよ」と言った。
もうとうに、一緒に戦前、戦中、戦後を生き抜いた祖父を亡くしていた祖母のその言葉は、私には迫力があり、「そういう人と出会えて、そうなれたらすてきだろう」と初めて本当に思えたものだった。
けれど、その時の私が祖母に言えたのは
「おばあちゃん、10年待って」
いまだに、祖母を待たせたままになっていても、それはすぐさまどうすることもできないのだけど
一緒に苦労すべき人はまだいなくても「私は私なりに自分の登るべき山を登っているよ」と伝えに行ける時季が与えられているのはうれしいこと。
私は、生まれたときから随分世話になったこの祖母を、子供の時分は随分乱暴に扱ったものだと思う。
あまり落ち着いて側に居てくれることのなかった母の代わりにさせてもらっていたのだろう。その分身体的な懐かしさが、この人に対してある。明確な記憶以上にある。
だから、今あてども果ても無い世界と、こちら側とをゆっくりと行き来し、こちら側に居られる時間の限られている祖母に会っておくことは、私には大切なこと。
確かめようはないことだが、こちら側とつながった時に祖母が彼女自身であることを、いくばくかの手ごたえを持ってもし、感じられるとしたら、うれしいのだ。
会いにいく前は、その都度不安もかする。
とうに姉妹や娘や孫たちの認識もちりぢりになってきている。
もう手が届かなかったら?
その不安は、こちら側にいる、私の不安でしかなく、祖母の不安ではない
目の前に居る人間が、誰だかは分からなくとも
会えば、目の前に居る人間が、少なくともその時自分のためだけにそこに居るのかそうでないのかは、おそらく、からだが在る限り分かるだろう
そう思って行く
始めは誰だかなんて分かっていなかったが
「自分に会いに来た人間だ」ということはすぐさま理解したように
謝るかのように言う。「毎日いろんなものをここで作ったりするんだけどね、何をやっているのか、分からないんだよ。なんだかばらばら、ばらばらでね。」
「わたしのために来てくれたんだと思うが、もう誰だかも分からなくなってるんだよ。わたしの中は、こんなにばらばらでね。すまないね。」
そんな風に聞こえる。
自分の内側の崩壊を知らせる冥府の端の、千年も万年も日が差さないその土地を、完全に出ることはもう無く、その土地と冥界とが、棲まいとなっていくことを、思考や意識でないところで十二分に理解しながら、つかの間、こちら側からの日差しに目を開け、覗き見
ているかのよう。
祖母の身体や、表情や、意識の動きが、そんな風に見える
「それはつらいね」
そう言うとすぐに「お線香もあげられてなくてね。お参りも行けてないんだよ。」と、おそらく一番の心がかりだろうことを、急ぐように懺悔を請うかのように話す。
「わたしが代わりにお線香をあげるから、大丈夫だよ。お供えもするよ。おじいちゃんに。お参りもちゃんと行くから大丈夫だよ。」
そう言うとほっとしたように「みんなが来るだろ。そしたらあるもの出してやってね。そこらに色々あるから、何でも、良さそうなもの出してやってね。」と続ける。
「うん。おばあちゃんがしてくれてたみたいにね。大丈夫、そうするよ。お台所にあるものね。お茶と一緒にね。」
「そう?出してくれる?」
だんだん、やり取りがつながって来た。
自分が逝く前に、誰かに渡さずにはおれないだろうことがまだ手元にあり、困っていたんだろう。
不安もかする。
ここでほんとにしっかり受け取ってしまったら、祖母はこちら側に居る理由を減らし、向こうに逝きやすくなるだろう。
数年前ならすぐさま「何言ってんの、おばあちゃん。それおばあちゃんがしなきゃ誰がするの?まだまだしてもらわなきゃ」確実にそう言った。
今はもう時間が無い。
私にしても、祖母が自分で伝えられるうちに受け取れるものは受け取っておきたい。
しばらく一緒に居ると、からだの記憶が呼び起こされるのか
表情や、言い回しの中に「祖母らしい」癖がそこはかよみがえる
つと、車椅子の背もたれから上体をはがし、こちらの顔に顔を近づけ、「いちばん見たい顔が来てくれたからね」と言う
幻視があるらしく、誰も居ない部屋の隅を、人を見やるように見、目に見えないものを指でつまんで、私によこす
それは祖母に「見えて」いるもの
受け取る
夕食間近
つと、私の右手の親指を、人の手を触るようにではなく手繰って
関節からもぎり取ろうとする。
「今朝のこれがね、美味しかったんだよ。まだ残ってたでしょう。食べていいかね。」
手繰り方と言葉とがあまりにリアルで、腹の方から恐怖にまでは届かない極微な寒気と笑いが起こる。
「おなかすいた?」
夕食が始まる時間に、食堂に送り
「またね」とゆっくり言う
半年前より「またね」に慣れたようだ
「わたしはもう、こうしていられるか、分からないんだけどね」
とも言われたがそれも覚悟しながら
「またね。おばあちゃん」と言う
会える必要がある分だけ会えるだろう。
会えないときには、すでに必要なことは済んだということなんだろう。
日曜
洗濯をし、気になっていた本の山の3分の2を整理し
最近引越しをした友人に渡すものを手に入れに行ってから
半年以上会っていなかった友人と食事をする
東池袋の南インド料理屋
オーダーに迷っていると、よく動く店のお姉さんが、本当なら予約の必要なミールスを出してくれると言う
五種類ほどの野菜のカレーとデザート
ライスと、パパドとナン
友人は魚肉系のミールス
香辛料のパレットのよう
遠慮なく使われた多彩な食材と香辛料ですっかり至福
仕事のこと、人間関係、家族とのこと
最近感じていること
お腹もいっぱいにしながら、最近の出来事と感じていることを
互いに話しつくす
おなかいっぱいでした
7月以来会いに行けていなかった祖母のところにようやく行くことができた20代の始めの頃、まだ祖母が呆けることをまだ誰も現実の問題として想定できなかった頃に「おまえはまだなのか(結婚は)」と聞かれた。
そのとき祖母は私に「一緒に”苦労”する人がいるっていうのは、いいものだよ」と言った。
もうとうに、一緒に戦前、戦中、戦後を生き抜いた祖父を亡くしていた祖母のその言葉は、私には迫力があり、「そういう人と出会えて、そうなれたらすてきだろう」と初めて本当に思えたものだった。
けれど、その時の私が祖母に言えたのは
「おばあちゃん、10年待って」
いまだに、祖母を待たせたままになっていても、それはすぐさまどうすることもできないのだけど
一緒に苦労すべき人はまだいなくても「私は私なりに自分の登るべき山を登っているよ」と伝えに行ける時季が与えられているのはうれしいこと。
私は、生まれたときから随分世話になったこの祖母を、子供の時分は随分乱暴に扱ったものだと思う。
あまり落ち着いて側に居てくれることのなかった母の代わりにさせてもらっていたのだろう。その分身体的な懐かしさが、この人に対してある。明確な記憶以上にある。
だから、今あてども果ても無い世界と、こちら側とをゆっくりと行き来し、こちら側に居られる時間の限られている祖母に会っておくことは、私には大切なこと。
確かめようはないことだが、こちら側とつながった時に祖母が彼女自身であることを、いくばくかの手ごたえを持ってもし、感じられるとしたら、うれしいのだ。
会いにいく前は、その都度不安もかする。
とうに姉妹や娘や孫たちの認識もちりぢりになってきている。
もう手が届かなかったら?
その不安は、こちら側にいる、私の不安でしかなく、祖母の不安ではない
目の前に居る人間が、誰だかは分からなくとも
会えば、目の前に居る人間が、少なくともその時自分のためだけにそこに居るのかそうでないのかは、おそらく、からだが在る限り分かるだろう
そう思って行く
始めは誰だかなんて分かっていなかったが
「自分に会いに来た人間だ」ということはすぐさま理解したように
謝るかのように言う。「毎日いろんなものをここで作ったりするんだけどね、何をやっているのか、分からないんだよ。なんだかばらばら、ばらばらでね。」
「わたしのために来てくれたんだと思うが、もう誰だかも分からなくなってるんだよ。わたしの中は、こんなにばらばらでね。すまないね。」
そんな風に聞こえる。
自分の内側の崩壊を知らせる冥府の端の、千年も万年も日が差さないその土地を、完全に出ることはもう無く、その土地と冥界とが、棲まいとなっていくことを、思考や意識でないところで十二分に理解しながら、つかの間、こちら側からの日差しに目を開け、覗き見
ているかのよう。
祖母の身体や、表情や、意識の動きが、そんな風に見える
「それはつらいね」
そう言うとすぐに「お線香もあげられてなくてね。お参りも行けてないんだよ。」と、おそらく一番の心がかりだろうことを、急ぐように懺悔を請うかのように話す。
「わたしが代わりにお線香をあげるから、大丈夫だよ。お供えもするよ。おじいちゃんに。お参りもちゃんと行くから大丈夫だよ。」
そう言うとほっとしたように「みんなが来るだろ。そしたらあるもの出してやってね。そこらに色々あるから、何でも、良さそうなもの出してやってね。」と続ける。
「うん。おばあちゃんがしてくれてたみたいにね。大丈夫、そうするよ。お台所にあるものね。お茶と一緒にね。」
「そう?出してくれる?」
だんだん、やり取りがつながって来た。
自分が逝く前に、誰かに渡さずにはおれないだろうことがまだ手元にあり、困っていたんだろう。
不安もかする。
ここでほんとにしっかり受け取ってしまったら、祖母はこちら側に居る理由を減らし、向こうに逝きやすくなるだろう。
数年前ならすぐさま「何言ってんの、おばあちゃん。それおばあちゃんがしなきゃ誰がするの?まだまだしてもらわなきゃ」確実にそう言った。
今はもう時間が無い。
私にしても、祖母が自分で伝えられるうちに受け取れるものは受け取っておきたい。
しばらく一緒に居ると、からだの記憶が呼び起こされるのか
表情や、言い回しの中に「祖母らしい」癖がそこはかよみがえる
つと、車椅子の背もたれから上体をはがし、こちらの顔に顔を近づけ、「いちばん見たい顔が来てくれたからね」と言う
幻視があるらしく、誰も居ない部屋の隅を、人を見やるように見、目に見えないものを指でつまんで、私によこす
それは祖母に「見えて」いるもの
受け取る
夕食間近
つと、私の右手の親指を、人の手を触るようにではなく手繰って
関節からもぎり取ろうとする。
「今朝のこれがね、美味しかったんだよ。まだ残ってたでしょう。食べていいかね。」
手繰り方と言葉とがあまりにリアルで、腹の方から恐怖にまでは届かない極微な寒気と笑いが起こる。
「おなかすいた?」
夕食が始まる時間に、食堂に送り
「またね」とゆっくり言う
半年前より「またね」に慣れたようだ
「わたしはもう、こうしていられるか、分からないんだけどね」
とも言われたがそれも覚悟しながら
「またね。おばあちゃん」と言う
会える必要がある分だけ会えるだろう。
会えないときには、すでに必要なことは済んだということなんだろう。
日曜
洗濯をし、気になっていた本の山の3分の2を整理し
最近引越しをした友人に渡すものを手に入れに行ってから
半年以上会っていなかった友人と食事をする
東池袋の南インド料理屋
オーダーに迷っていると、よく動く店のお姉さんが、本当なら予約の必要なミールスを出してくれると言う
五種類ほどの野菜のカレーとデザート
ライスと、パパドとナン
友人は魚肉系のミールス
香辛料のパレットのよう
遠慮なく使われた多彩な食材と香辛料ですっかり至福
仕事のこと、人間関係、家族とのこと
最近感じていること
お腹もいっぱいにしながら、最近の出来事と感じていることを
互いに話しつくす
おなかいっぱいでした
コメント