区切りと筋と境
2006年2月20日土曜は久しぶりにやや遅くまで働き、その夜池の上の「現代HIGHTS」で友人の友人の個展「po-chise」を観に行く
観に行く、と言うよりは「入りに」行く
展示は、大きな「子宮」だったので、その中に入るという「体験」が面白かった
展示物の中に入り、天然素材のこだわりのある布で覆われた外見よりも空間のある内部は、静かで、コトンと眠りにつきたくなるところだった。
外の音が聞こえないわけではないけれど静かな
そう広くはないのだけれど「広い」空間
クリーム色の柔らかな布の肌触り
自分がそのときは「外部」となる「子宮」と一緒に呼吸していて
その「呼吸」を感じるのに丁度いい、ある一定の区切りの中だった
外へ這い出すと「入ってくださってありがとうございます」と突然声が現れる
作者の船越カンナさんがすぐ側のテーブルから立って話しかけてくださった
素材へのこだわりや、外に吊るされた布のことや、コンセプトの話を直接聞けた
短い時間だったけれど、「入って」「出て」これたことで、小さく一つ塗り替えられる
日、月曜は年に2回ほど会う大切な友人とロイヤルパークホテルで一泊
やはり静かに、ゆっくりと過ごさせてもらった
・・だけでもなかったか
彼女が即決して買った赤カビの「シャンベルタン」1/2を、彼女がウィーンで作ってお土産に運んできてくれた最強75%林檎の密造酒と黒猫のラベルが可愛い白ワインZeller Schwarze Katzのソーダ割りで、二人でガツガツと平らげた
赤カビチーズの臭さととろとろ具合は最高で、私は皿とナイフを文字通り舐めるまで堪能
旨いものを教えて頂いて、しあわせ
彼女の研究やお仕事の道筋が、よどみなく、たっぷりとした流れとして感じられ、その話を聞いているのが心地よかった。
彼女との、時間の共有の仕方も変わってきている
それは、彼女の人としての確かな前進に拠っていると感じる
会うたびに、この人には、本当に多くを教わっている
私は、ただぼーっと、その時その時感じることを話したりしていた
いつでもそうかもしれないが、私は「ただ、そこに在る」という居方になる
それしかできないと言えばそれしかできない
まだ、自分の道筋は散漫としていて、けれどそれは、これからコンステレートさせて行くべきものなのだとも、感じられた
月曜、友人と別れたあと、騒がしすぎないCafeをランドマークタワーの中に見つけ、そこで薄い本を1冊読み、開くのが気の重かった論文を一本読み取り、しばし潜水する
夜はそのまま、桜木町の駅の向こう側、もみじ坂を登ったところまで「モローラ〜灰」という南アフリカの女性が創った劇を観に行く
残酷さと怒りと悲哀を生々しく、すばらしく正確に伝えてくる演出に思えた
特に冒頭。
そこで起きていることの持つ意味を、床に大きく横たえた、血糊で黒く汚れた板と、その上にかぶせてあった黒光りするシートを引き摺り剥がす重さで見せ、
夫を殺した女と、父を殺された娘の境を、娘の体を水浸しの布でぬぐう母の顔と動きと、その母に体を預ける娘の後ろ姿と鼻歌とで、見事にこちらへ伝えてよこした
後半から終盤は、私自身がもっとも興味を持っていた「復讐から許しへの過程」だったのだが・・・冒頭よりも目が粗く感じた
終盤のみでもう1本書いて欲しい感覚
観に行く、と言うよりは「入りに」行く
展示は、大きな「子宮」だったので、その中に入るという「体験」が面白かった
展示物の中に入り、天然素材のこだわりのある布で覆われた外見よりも空間のある内部は、静かで、コトンと眠りにつきたくなるところだった。
外の音が聞こえないわけではないけれど静かな
そう広くはないのだけれど「広い」空間
クリーム色の柔らかな布の肌触り
自分がそのときは「外部」となる「子宮」と一緒に呼吸していて
その「呼吸」を感じるのに丁度いい、ある一定の区切りの中だった
外へ這い出すと「入ってくださってありがとうございます」と突然声が現れる
作者の船越カンナさんがすぐ側のテーブルから立って話しかけてくださった
素材へのこだわりや、外に吊るされた布のことや、コンセプトの話を直接聞けた
短い時間だったけれど、「入って」「出て」これたことで、小さく一つ塗り替えられる
日、月曜は年に2回ほど会う大切な友人とロイヤルパークホテルで一泊
やはり静かに、ゆっくりと過ごさせてもらった
・・だけでもなかったか
彼女が即決して買った赤カビの「シャンベルタン」1/2を、彼女がウィーンで作ってお土産に運んできてくれた最強75%林檎の密造酒と黒猫のラベルが可愛い白ワインZeller Schwarze Katzのソーダ割りで、二人でガツガツと平らげた
赤カビチーズの臭さととろとろ具合は最高で、私は皿とナイフを文字通り舐めるまで堪能
旨いものを教えて頂いて、しあわせ
彼女の研究やお仕事の道筋が、よどみなく、たっぷりとした流れとして感じられ、その話を聞いているのが心地よかった。
彼女との、時間の共有の仕方も変わってきている
それは、彼女の人としての確かな前進に拠っていると感じる
会うたびに、この人には、本当に多くを教わっている
私は、ただぼーっと、その時その時感じることを話したりしていた
いつでもそうかもしれないが、私は「ただ、そこに在る」という居方になる
それしかできないと言えばそれしかできない
まだ、自分の道筋は散漫としていて、けれどそれは、これからコンステレートさせて行くべきものなのだとも、感じられた
月曜、友人と別れたあと、騒がしすぎないCafeをランドマークタワーの中に見つけ、そこで薄い本を1冊読み、開くのが気の重かった論文を一本読み取り、しばし潜水する
夜はそのまま、桜木町の駅の向こう側、もみじ坂を登ったところまで「モローラ〜灰」という南アフリカの女性が創った劇を観に行く
残酷さと怒りと悲哀を生々しく、すばらしく正確に伝えてくる演出に思えた
特に冒頭。
そこで起きていることの持つ意味を、床に大きく横たえた、血糊で黒く汚れた板と、その上にかぶせてあった黒光りするシートを引き摺り剥がす重さで見せ、
夫を殺した女と、父を殺された娘の境を、娘の体を水浸しの布でぬぐう母の顔と動きと、その母に体を預ける娘の後ろ姿と鼻歌とで、見事にこちらへ伝えてよこした
後半から終盤は、私自身がもっとも興味を持っていた「復讐から許しへの過程」だったのだが・・・冒頭よりも目が粗く感じた
終盤のみでもう1本書いて欲しい感覚
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