「ある」と「ない」
2007年3月4日一昨日は、金沢から出てきた友人と、夜遅くに会う。
家から自転車で数分のところに、地中海料理を出す、かわいいお店(水道橋「和伊わい亭」)に誘った。
飛行機に乗る前に少し食べただけという友人が、ベーコンと舞茸のソースであえた細いパスタが、細かく刻まれた鰹節の山盛りですっぽり隠れるほどの「カツオナーラ」を頼んだ。鰹節と少ししょっぱめの塩加減がよく合っていて美味しかった。鮪とアボガドの生春巻きもボリュームが丁度よい。
スィーツくらいにしておこうかと思っていたが、彼女と一緒につまんでいたらお腹いっぱい。
彼女は、護身術を教えているママさん。双子もち。ちょっとハードな身内の話も、スカッと笑い飛ばしながら話す人。
自分に厳しく、人に暖かい、すてきな「姐御」である。
昨日、ゴスペルの小さな発表会に出る。
夕方、珍しくクワイアの人たちのお茶に加わってみた。
うーん、自分にとって、居て自然な場所かそうでないかは、私がこれまでこうして生きてきてここに今いるっていう時点で、相当の必然性を持って決まっているもののように感じた。
馴染む「おしゃべり」とどうにも馴染まん「おしゃべり」というのは、どうしようもなく決まってくる。
私という人がメジャーなファッション雑誌に載っていそうな世界のおしゃべりに加わるというのは、不可能に近い。
今日は昼前からシチューを作り、仕事をして、買い物に出て
それから、蕪と油揚げを煮びたしにする。
旬のお野菜の、なんと力強いこと。
こういうことを感じられるのはしあわせ
月曜の仕事の準備に、思いのほか時間がかかる
「ばっさばっさ」と人を切っている
と思った途端に、そこと対照となる世界が浮かび上がる
前の職場の友人たちや、大学の先輩なんかにメシに誘われる。
細く長くなのか、狭く深くなのか、
私がわたしである必然によって通ってきた道で、つなごうと意図したわけではなく、つながりになった関係がいくつかあり
私はそういう人たちとの会う、その時その時を大切にできるかどうかについては
確かに気持ちが触れ
関心を持っている
それでもやはり
コスモロジーは無いんだけどね
家から自転車で数分のところに、地中海料理を出す、かわいいお店(水道橋「和伊わい亭」)に誘った。
飛行機に乗る前に少し食べただけという友人が、ベーコンと舞茸のソースであえた細いパスタが、細かく刻まれた鰹節の山盛りですっぽり隠れるほどの「カツオナーラ」を頼んだ。鰹節と少ししょっぱめの塩加減がよく合っていて美味しかった。鮪とアボガドの生春巻きもボリュームが丁度よい。
スィーツくらいにしておこうかと思っていたが、彼女と一緒につまんでいたらお腹いっぱい。
彼女は、護身術を教えているママさん。双子もち。ちょっとハードな身内の話も、スカッと笑い飛ばしながら話す人。
自分に厳しく、人に暖かい、すてきな「姐御」である。
昨日、ゴスペルの小さな発表会に出る。
夕方、珍しくクワイアの人たちのお茶に加わってみた。
うーん、自分にとって、居て自然な場所かそうでないかは、私がこれまでこうして生きてきてここに今いるっていう時点で、相当の必然性を持って決まっているもののように感じた。
馴染む「おしゃべり」とどうにも馴染まん「おしゃべり」というのは、どうしようもなく決まってくる。
私という人がメジャーなファッション雑誌に載っていそうな世界のおしゃべりに加わるというのは、不可能に近い。
今日は昼前からシチューを作り、仕事をして、買い物に出て
それから、蕪と油揚げを煮びたしにする。
旬のお野菜の、なんと力強いこと。
こういうことを感じられるのはしあわせ
月曜の仕事の準備に、思いのほか時間がかかる
「ばっさばっさ」と人を切っている
と思った途端に、そこと対照となる世界が浮かび上がる
前の職場の友人たちや、大学の先輩なんかにメシに誘われる。
細く長くなのか、狭く深くなのか、
私がわたしである必然によって通ってきた道で、つなごうと意図したわけではなく、つながりになった関係がいくつかあり
私はそういう人たちとの会う、その時その時を大切にできるかどうかについては
確かに気持ちが触れ
関心を持っている
それでもやはり
コスモロジーは無いんだけどね
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