混ざった?

2007年4月29日
ずっとからだの芯は眠っている
2月後半から、3月に入った辺りからか
そのあたりから、どこをどう通ってきたのか、よく思い出せない
お客さんとのセッションと、歌っている時と、料理をしている時と、親しい人と会っている時と、それ以外の時のことが、水の中にいたみたいだ。音がよく聴こえず、魚のようにはうまく進めない感じ。

要は疲れていて、自分の関心の高い、限られた時間にしか意識を集中できてないってことのよう。

今日、久しぶりに古い友人に手紙を書いていて気がついた。

昨日友人のパフォーマンスを観に行った。
昨日も朝からとにかく溜まった細かい用事を片付け続けていて、やはり。「水の中」にずっといたのが、その友人のパフォーマンスが始まった時、ようやく陸に上がって呼吸をしたように思えた。
それは、「息をつげて、ホッとした」というのとは違って、
音は聴こえるようになったものの、それはあまりにも鮮明で水に包まれていた身体には振動が応えて、息もできてもう水も身体を引きとめはせず、自在なのだけれど、からだは動きの目的を持つことができず、動きが「動作」にならない。
それを「あたま」と「かんかく」でやっているような、そんな感じ。
赤ん坊が、初めて聴く音に驚き、五躯を動かすと何がどうなるのか、何と出会うことになるのか、そんなことも思う前に躯体を動かし続けているような。
すぐにへばるところが赤ん坊とは大違いだし、そんな感覚が長く続くには、歩けばすぐに「日常」にぶちあたる。
あたったところで、「日常」にその感覚を混ぜられるといい。少しは混ざったか?
「探求」自体が面白いと感じる前に「探求」に入れている時は、「混ざって」いるのかもしれない。

「遊」んだ
つかれた
眠ろう

 

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