カエルとトモダチ
2007年6月9日ありがたいことに、便秘は快調に解消
今日は、先週のゴスペルワークショップの続きでまた磯子の先へ。
もともと地元の教会で開かれているものだから、普段から通って、賛美歌とゴスペルを歌ってきている人たちが殆ど。
「歌う」ことが最優先されているわけではなく
信仰活動としての「米国から神を讃える歌を歌う人たちを迎えるための準備」をみんなでしているんだなあと先週よりも感じる。
けれど、これが本来の歌われ方により近いわけだ。
ここでは”Hallelujah”(神を讃えよ)はまだ聴いていない
”Amen”(まことに、ほんとうに、そのとおり、然り。「まことに、かくあれかし」)
が多く言葉にされ、歌われている
従順にしたがっていく、護られた中で
そんな雰囲気
私には”Hallelujah”はより、能動的な営み、努力が要されるように思え
”Amen”は、本当にその言葉を言うのは、私にはもっと難しいように思える
「いったい、何に対して、いま、私は”然り”だと、”ほんとうにそのとおりだ”と言うのか」
今の自分は、何を真実肯定するのか
ってことがむずかしい、と感じる
「Amen」を告白するにはその人の真実が必要だし、行動を携えて誓われねばならない。
そんな風に思える。
本来の宗教的な現実については知らないので、勝手な解釈ですが
・・・頭の中での御託は容易
せっかく遠くまで頑張って来たのだからと、終わったら更に足を伸ばして鎌倉まで、学生時代からの友人を訪ねて・・と思っていたら、ワークショップへ向かう途中のトイレで携帯をボットン・・・(TOT)
流した後だったのがせめてもの救い(ーー;)
友人の居る店の電話番号だけかろうじて控えて、あとはショートしないように、電源を切った。乾いてくれることを念じて。
ありがたいことに冷房の入った教会内。
乾いてくれよ。
マイ携帯。アカメアマガエルの指先みたいな軽やかなオレンジ色も、軟らかいカーブも小柄なところも大好きだった〜(T-T)
しかし、電源は切ったはずなのに勝手に弱々しく振動し続けたり、カメラのレンズにも内側から水滴が出て、昇天も間近と素人にも分かる状態。
あああ。
まあしょうがない。そろそろ寿命は寿命という時期でした。
データもね、バックアップしきれていない分は「いっぺん捨てなさい」ってことかもね。ということにして、友人が店番をしている店へ。
沖縄や海外の器や雑貨を売っている由比ガ浜の小さなお店。
もともとスタジオだそうで、真っ黒い壁、半地下で天井が高く、しかし圧迫感は無く、人ごみの中を潜り抜けて到着した身には、ホッとする場所だった。
友人がお茶を煎れてくれ、店で売っているハンモックに寝かせてくれた。品物を紹介してくれたり・・。すっかりくつろぎ、おねだり、我侭も言い。更に彼女は横浜のヨドバシまで付き合ってくれた。
私が機種を決めるまでの間に、友人が地階のレストランを当たってくれ、機種変の手続きと、データが生きているか確認してもらっている間にイタリア料理屋で夕食。
カエル携帯に代わるほどの出会いも感じず、「必要」と「諦め」とでシルバーの、私の手には幾分大き目の角ばった機種に決め、データの生存もほぼ諦めていたらこちらは生きていた。
ありがたい。
自分の予想以上に「ボットン」にショックを受けていたが、何から何までもてなして付き添ってくれ、最近の先輩とのことなどを本当にじっくりゆっくりと聴いてくれた友に感謝(T_T)
ありがたい。
久しぶりに聴いた彼女の話も、数年前を思うとなおのことホッとするものだった。
自分の変化も感じた。
今日、本当に久しぶりにともにいられてしあわせだった。
今日は、先週のゴスペルワークショップの続きでまた磯子の先へ。
もともと地元の教会で開かれているものだから、普段から通って、賛美歌とゴスペルを歌ってきている人たちが殆ど。
「歌う」ことが最優先されているわけではなく
信仰活動としての「米国から神を讃える歌を歌う人たちを迎えるための準備」をみんなでしているんだなあと先週よりも感じる。
けれど、これが本来の歌われ方により近いわけだ。
ここでは”Hallelujah”(神を讃えよ)はまだ聴いていない
”Amen”(まことに、ほんとうに、そのとおり、然り。「まことに、かくあれかし」)
が多く言葉にされ、歌われている
従順にしたがっていく、護られた中で
そんな雰囲気
私には”Hallelujah”はより、能動的な営み、努力が要されるように思え
”Amen”は、本当にその言葉を言うのは、私にはもっと難しいように思える
「いったい、何に対して、いま、私は”然り”だと、”ほんとうにそのとおりだ”と言うのか」
今の自分は、何を真実肯定するのか
ってことがむずかしい、と感じる
「Amen」を告白するにはその人の真実が必要だし、行動を携えて誓われねばならない。
そんな風に思える。
本来の宗教的な現実については知らないので、勝手な解釈ですが
・・・頭の中での御託は容易
せっかく遠くまで頑張って来たのだからと、終わったら更に足を伸ばして鎌倉まで、学生時代からの友人を訪ねて・・と思っていたら、ワークショップへ向かう途中のトイレで携帯をボットン・・・(TOT)
流した後だったのがせめてもの救い(ーー;)
友人の居る店の電話番号だけかろうじて控えて、あとはショートしないように、電源を切った。乾いてくれることを念じて。
ありがたいことに冷房の入った教会内。
乾いてくれよ。
マイ携帯。アカメアマガエルの指先みたいな軽やかなオレンジ色も、軟らかいカーブも小柄なところも大好きだった〜(T-T)
しかし、電源は切ったはずなのに勝手に弱々しく振動し続けたり、カメラのレンズにも内側から水滴が出て、昇天も間近と素人にも分かる状態。
あああ。
まあしょうがない。そろそろ寿命は寿命という時期でした。
データもね、バックアップしきれていない分は「いっぺん捨てなさい」ってことかもね。ということにして、友人が店番をしている店へ。
沖縄や海外の器や雑貨を売っている由比ガ浜の小さなお店。
もともとスタジオだそうで、真っ黒い壁、半地下で天井が高く、しかし圧迫感は無く、人ごみの中を潜り抜けて到着した身には、ホッとする場所だった。
友人がお茶を煎れてくれ、店で売っているハンモックに寝かせてくれた。品物を紹介してくれたり・・。すっかりくつろぎ、おねだり、我侭も言い。更に彼女は横浜のヨドバシまで付き合ってくれた。
私が機種を決めるまでの間に、友人が地階のレストランを当たってくれ、機種変の手続きと、データが生きているか確認してもらっている間にイタリア料理屋で夕食。
カエル携帯に代わるほどの出会いも感じず、「必要」と「諦め」とでシルバーの、私の手には幾分大き目の角ばった機種に決め、データの生存もほぼ諦めていたらこちらは生きていた。
ありがたい。
自分の予想以上に「ボットン」にショックを受けていたが、何から何までもてなして付き添ってくれ、最近の先輩とのことなどを本当にじっくりゆっくりと聴いてくれた友に感謝(T_T)
ありがたい。
久しぶりに聴いた彼女の話も、数年前を思うとなおのことホッとするものだった。
自分の変化も感じた。
今日、本当に久しぶりにともにいられてしあわせだった。
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