数年来診てもらっている上野の歯医者へ
相変わらず細かいところも面倒くさがらずに、「痛くない?」「だいじょうぶ?」と折々確認しながら義歯を調整してくれる。

秋葉原まで歩いてからヴォイストレーニングへ
いまやっている”Someone To Watch Over Me”はVerseから最後まで腹筋のいるきれいなメロディのバラード
発声も続けていると1時間はやらないと気がすまなくなっている
今日は発声の後もみっちり1時間曲に集中

高音で喉をいかに解放してやわらかい声を出せるか
音程をキープしていかにしっかり、でもやわらかく響かせるか
が課題

ヴォイストレーニングは、こちらがやっていけばいくほど、先生も「その先」の指導を手渡してくれる
「こうしなければだめ」とか「ここがだめ」と無理に引っ張ったり落としたりする人ではない
何も言わないところで、こちらのペースに合わせて伸ばしていってくれるのがありがたい
派手なカリスマ性を見せるわけでも、エキサイティングな盛り上げをしようとするわけでもなく、毎回淡々とひとつひとつ小さな形を整えるようにポイントを指摘してくれる
私にとってよい先生に出会えたものだと思う

最近は、この言外のやりとりを楽しんでいる

夕方池袋で月1回の勉強会へ
講師を招いて体験形式でトレーニング
こちらも地味だけれど、無理のないゆったりとしたペースで、参加者一人ひとりに安心感をしっかり伝えるような教え方
こういう、自然な呼吸のしやすい、歩くペースくらいのものごとの積み重ね方が好きだなと、やはり思う

この先、どこへ行く?
またこの仕事を歩く?
同じ業界でも、自分のからだが息をしづらくなる場はいくらでもある
このからだが息をしていられる場があるなら、またそこへ向かう?
そこで歩いていく?
大切なのはそこかもしれない
「何をするか」ということよりも
このからだが居続けられる場なのかどうか
そこで私が歩き続けられるかどうか
心身を作り続けていけるかどうか
それが可能な場が、私が求めているもののあるところということなのかもしれない

胸骨のさわつきが言っていることに、近いかもしれない

・・・集団の中で「自分」を現すということが、ほんとに改めて苦手
丁寧に感じたことを伝え、思ったことをして、その後にみぞおちの痛みが残る
「思ったとおりにやった、それでいい」
「やってみた、それでいい」
「次にまた工夫できることがある、それでいい」
筋トレやヴォイストレーニングのように、心身を動かして、日々それを重ねて
「これでいい」「それでいい」と、ただそのまま感じたい
ただそのままからだのものにしたい

家に帰って、レポート書き
最近にしては少し煙草に手が伸びる

違うがんばり方はないものか

また2,3日睡眠が短くなってきた

でも悪いことでもないかもしれない

何かにむかっているところなのかもしれない

   

 

 

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