わらえる

2008年7月2日
横浜近くにあるホメオパシーや鍼灸も取り入れている内科に出かける
予約を入れてから2〜3週間待ち

必要なタイミングなんだろう
周囲の評判はよく、腕は相当よいとのこと

クリニックは気持ちのよい高台に、林のある公園の向こう側で
行きがけ、木々の中でしばし土や草、虫の声に触れていく

知っているおじいちゃん教授の1人、2人を思い出させるような雰囲気と話し方をする熟年の先生

忙しいんだろうな
毎日毎日、期待の多い患者に会い続けてるんだろう
そんな連想が働くような疲れ具合に見えた

おそらく、毎日決まった言葉で、決まった説明をしているんだろう「私の仕事は、体からの言葉の通訳です」「メールを届けます」というこなれすぎた言い様

体の状態は副交感神経や脾臓、胆嚢のほかは大きな問題はなく、免疫力も、珍しいほど高いとのこと
それはからだが「感謝」でいっぱい、ということなんだとか
苦笑
さもあらん
けれどあたしゃ(アタシのアタマは)そんなに感謝してやいない
そう1人ごちながらもぽろぽろ涙が出る
「感謝しなければ。こんなに五体満足で”恵まれて”るんだから」と、昭和人くさいことを言い聞かせてきた自分もいる

33歳は、どんな頃でしたかと問われる
前の職場で、お客さんたちの変化を手ごたえとして感じられてきたころで、それまでの3年間してきたことの意味が分かり始めた頃だったが、同時に職場の様相も激しくなり、心身への負荷が増え、自分は最悪な状態になってきていることを承知で、「場」を維持し続けなければと決めた頃

Dr.曰く
その頃までのタスクは果たせていて、社会的な肩書きとしてではなく、実質的にこの仕事の「資格」を得られた時
だとか
特に大きな感慨も湧かず、ええもうそれで充分です、と思う

11歳の時は何かあったかとまた問われる
11歳ね
すぐには思い出しにくい
家を出たいと思っていた頃でしょうか

「その頃のことを思い出して、そのころのパワーを取り戻してあげて、その頃の自分を受け止め、安心させてあげて」
と言われる

腎臓と歯が強く、そこを中心に五臓で自分を支えてきてる
文字通り”骨身を削って”やってきたんでしょう

ええ、もう歯なんてぼろぼろを通り越してる

腎臓とつながっている心臓にお日様の力をもらえるように
と、カルディオドロンというレメディを処方される

クリニックを出て、また林の中に入り、風を受けた
とたんにぼろぼろ涙がこぼれ
声まで漏れ出して
「生きてなきゃならないのか」という言葉が胸の中に突然わいた

おどろくわ、もう
この期に及んで、そんなこと思っていたか
「もう終わりにしていい」「死んでもいい」とでも、言ってほしかったのか(爆)

風がからだをなでていって、木々の葉が気持ちよいほどうつくしい音を立てて、足元の土の上でたくさんの虫たちがそれぞれの使命を無心に果たしているのが、からだや目に触れては流れていく

思い出した
11歳
どうやって死のうか考えていた
どうやって、両親を殺そうか考えていた
そのどちらもできてしまうには「愛されている」子どもだったので
どうやったら家を出られるかと考えた
どうして子どもは車の免許を取れないのか
どうして子どもは働いて稼げないのか
しょうがないので、全寮制の中学校を探しもした

そうこうしている間に、親が独立し、家を殆ど留守にするようになり、自分が出て行く必要がなくなった

「生きているのは三十まで」と思っていた頃
それ以降のことなんて、まったく考えていなかった
おかげで、三十前には、改めて再決断を迫られた
そうして、またいま?(笑)

笑える
この期に及んで、まだこれかい

いつまで思春期やるつもり?
つかれたわもう

 

 
 

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