寝不足続きのため、昼過ぎまで起き上がれず

腰を休ませ、筋トレを諦めていると、他のことが少しすすみやすい

・・それだけ筋トレって相当エネルギー使ってたってことかなあ

午後は、夜来る予定の叔父と叔母、従兄弟へ
おすそ分けの切干を山と煮る

ヴォイトレはやはり欠かさずじっくり行く
喉が開きやすくなってる

 
夜、尋ねてきた叔父と叔母に、戦前、戦後の話をきく

前にも聞いているのだが、どーも父方はややこしくて
一度では入らない

祖父が出兵したという話は聞いたことがなかったので、戦時中どうしていたのか、など尋ねてみる

祖父は様々な機械に必要な部品を作る工場をしていたので、工場の運営が軍需物資のためにも必要で、それともう四十と徴兵されるには年が行っていて、出兵は免れたらしい。

その代わり、年の離れた叔父と叔母の従兄弟が赤紙を受け取って、シベリア抑留を体験して帰ってきている。

やはり本人は語らなかったようだが、出兵前とは人が変わっていたと言う。

祖父母は、東京大空襲では本所の住まいを焼け出され、本家のあった亀有へ非難。その際長兄を亡くしているらしい。
大変だっただろうけれど、「本人たちは、大変だったとは思ってねーんじゃねーか」と叔父は言う。
当時の庶民みんなにとって「誰がそういう目にあってもおかしくないそれが当たり前」の時代だった、と。

叔父と叔母の言いようでは、父方はいわゆるちゃきちゃきの「江戸っ子」で
しかも「みんな堅気じゃねーんだ」とやはり下町言葉(笑)

まずは私の祖父母の両親にあたる2人の馴れ初め
曾祖母の「花ちゃん(仮名)」は元は大鳥神社の巫女さんだったそうな
代々お神楽を継いで来ている家に生まれている
その「花ちゃん」を見初めて一緒に駆け落ちしたのが博打打ちの親分「鍬太郎さん(仮名)」
2人は駆け落ちして亀有りへ(駆け落ち先がそう遠くないのがかわいい)

しかし、「鍬太郎さん」は若くして病気で亡くなってしまう
そこで「鍬太郎さん」の子分だった、私の祖父の兄「伊代吉っちゃん(仮名)」が、彼にとっては「姐御」にあたる「花ちゃん」と内縁関係となり、その後の「花ちゃん」と仲むつまじく花札なんかをしながら(賭博と化していたかどうかは定かではない(笑))共に暮らしたらしい
その元巫女さんが、えらくいなせによく長煙管をふかしていて、側にいた叔母はたまにおこぼれに預かっていたらしい
定年を迎えたら着物生活に入り煙管をやるんだと、数年前から古道具屋で道具を集め、刻み煙草を試し始めている。

「伊代吉っちゃん」と「花ちゃん」が何故最後まで正式に籍を入れなかったかということについては、
?「花ちゃん」の永遠の愛しい人は「鍬太郎さん」であったから
  (後日談有り。「花ちゃん」は死ぬ間際「あたしの骨は鍬太郎さんの墓に入れとくれ。」と遺言。「鍬太郎さん」の何倍も長いこと連れ添っていた伊代吉っちゃん、形無しである。言いやしなかったろうが墓の中で「姐御そりゃあねえぜ」と口を斜めにしたかもしれない。結局身内の手によって分骨される。)

?「伊代吉っちゃん」と「花ちゃん」の間に生まれた「伊代ちゃん」の後のだんなさん「竜吉っちゃん(仮名)」は、「伊代吉っちゃん」の弟であったから。
つまり、九つ違いの「竜吉っちゃん」と「伊代ちゃん」は、実質叔父と姪であり、夫婦でもあるわけだが、戸籍上はそうは行かない。
そんなこともあり、何年むつまじく連れ添っていても籍を入れることは「できなかった」わけだ。

他にも父方には楽しい話が尽きない

土地持ちだった、長兄のお嫁さんは、地代の収入もあり、全く食うに困ることはなかったわけだが、趣味か道楽か、好んで銀座の料理屋か何かに時々「バイト」に行っていたらしい。

元巫女さんの「花ちゃん」の2番目か3番目のお兄さんは、人形師だったらしいが、大震災で焼け出された歌舞伎役者を助けて命の恩人!と感謝されまくり、「一生面倒を見る」と(言われたのかどうか(笑))呼び寄せられ、歌舞伎役者の手ほどきを受けて舞台に上がったブロマイド写真があるらしい。(笑)

他の大叔父は寺の住職をしていて
叔母たちがそのお寺さんで一緒に夕飯を食べていると「あ、○○さんとこの△さん、いらしたね」とおかみさんが言い、お通夜の準備を始める
と、次の日「△が逝きましたので」と○○さんとこの家族がおいでになる
「そういうのがあたりまえだったから、恐いともなんとも思わなかった」と叔母は言う
かく言う私も、この手の話はしごく自然に思える

かと思えば、祖父の「竜吉っちゃん」は大正〜昭和の「族」
まだHONDAのバイクが誕生する何十年前、戦前からバイク(indian)に乗り仲間たちと舗装されていない東京の道に砂埃を上げ、白バイならぬ赤バイ(戦前は白バイは赤かった)を巻いていたらしい(笑)
竜吉ちゃんのバイクがなぜindianかと言えば、仲間の殆どがHARLEYで「同じじゃつまんねえ」からだったとか(笑)

聞いていると落語か小話のネタになりそうな話が次々出てくる

自分がなぜだか東京下町に住みたくなった訳が分かった気がする

時代は明治、大正、昭和だが、庶民の肌身の暮らし感覚が、そうそう3,40年で塗り替えられるわけもなく

どうも「お江戸」はそんなに遠くなかったようだ

   
 

 

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