昼少し前
上野の公園口で叔父と叔母と待ち合わせ、韻松亭へ
週末の上野公園の人出は私たちには殺人的に思えるが、土、日しか昼の予定は合わせられないので、そこはあきらめた。
東京下町育ちのくせに、人ごみぎらいの叔父は公園敷地内に入ったのは学生のころ以来だという。たまにはいいでしょう、こういうのも。
公園の中には、もう2,30年放っておかれているような、遊具や売店、看板も目に入る。
パンダは今はここにいない。

叔母は、来年1月に定年を迎えた後は、好きで集めた洋服を一掃して、着物暮らしを始めると、もうこの数年来言ってきていた。
派手過ぎない程度の小さな市松模様の着物に黒い更紗のような半巾帯を結び、薄紫色の華奢なショールと黒い長手袋で防寒している。
伝統的な着こなしが好みのご婦人には一言二言いわれかねないのかもしれない崩し方が洒落っ気のある叔母らしい。

店もやはり、「休日の昼間」を満喫しに来ている奥さん方やカップル、同窓会をしている人々でごった返しの中だった。
叔父は元来の質どおり、何も言わないが、こういう人だからこそ、誕生日をお祝いしたくもなる。30代で奥さんを亡くした後も誰とも付き合わず、再婚もせず、2~3才の時点以上には成長することができない息子を抱きかかえ、オムツを換え、食事をさせ、車椅子を押し、車に乗せて旅をする人。ぶっきらぼうな下町言葉や表情からも照れや情がその向こうに聞こえる。柿を入れて焼いたパウンドを渡すと、やっぱりとんとんと口を結んでうなずくだけだが、口の端はほんの少し上がっているかと見た。
叔母はこの店を気に入ったらしく、友だちと骨董市に来た時にでも使おう、と言う。
湯葉とお豆ご飯が美味しい。

人ごみ嫌いの東京人でしかもヘビースモーカーの私たち3人にとっては、人ごみの中そうそう喫煙を許されず、喫煙場所を探すのも一苦労という場所での長いは拷問に近くなってくるので、店を出ると公園口を離れ、週末にこそ空いていそうな昭和通り側に移動し、ゆっくり珈琲を飲みながら他愛無い世間話をしてあたたまる。
話す内容にはおそらく殆ど意味は無い。
ただ時々会ってその時間を一緒に居るということで、3人の独り身がちょっとぬくまり、帰っていく。


夜、新潟でけんかをした友人から電話がある。
話しているうちに、言葉にして出していなかったことを言う。
やっかいな自分。


 

 




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