神戸へ

2009年9月13日 日常
新しい彫刻のクラスで、丁度鶴林寺と浄土寺に行くお話しがあり
せっかくの機会と便乗した

一泊二日だったのだが、月曜にかかるのは厳しかったので、1人日帰りにしてもらった

加古川の刀田山鶴林寺
金銅聖観音立像
別名「愛太子観音」「あいたたの観音さま」は、丁度実物に会いたかったところ
シンプルな細い体躯に過剰にはまとわせていない衣
見ているとするりと不思議にしあわせなあたたかさを感じる微笑
しあわせな姿
8世紀初頭
白鳳時代の仏さま

京都や奈良のお寺さんとはまた違ったゆったりとした雰囲気のあるお寺
きりきりとした美しさはなく、かといって長閑というのとも違うさりげなさがよい
うまく言えないが、下手な抵抗をしていない、というような感覚の起こる場だった

太子堂の屋根も和様が見惚れる美しさ

同行していた叔父さまの1人が境内の菩提樹の実のついた竹とんぼの羽のような枯れ葉を手渡してくれた

壊さぬように持って返った


浄土寺
国宝 阿弥陀三尊像がおわす
「おわす」と言いたくなるほどの存在
快慶の手によると言われる
鎌倉時代初期から、5メートルを超える如来さんと4メートル弱の脇侍、観音・勢至菩薩さんたちは、ここに立ち続けているという。
西から差す夕日の光が、三尊の背後から浄土堂の中に飛び込み、雲の形の台座に乗った如来さんと菩薩さんが、ちょうど光の中に雲に乗って現われ、人々を迎えに来る姿を
そのまま具象化したスペクタクルな空間

そーんなディズニーランドみたいな、と行くまでは、おまけ気分でいたのだが
とんでもなかった
頭を下げるしかない
快慶さんたち昔の仏師集団の魂のこめようは尋常ではなかった
「人が生きられるように」と彫られたものだ
人間は、こういう存在の"有り難さ"に支えられて生きていられるんじゃないかと思う

いつの時代の人たちもみな「有り得ない」ような「有り難さ」に出会って生かされてきたんじゃないか


あまり深堀りしすぎると疲れすぎるので、ここでやめよう

新神戸へ向かう帰りのバスの中で、短時間うとうとしただけなのに、めずらしく変な寝違え方をして、しばらく左の首と肩がつっぱっていた

あいたた








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