それから

2010年1月12日 日常
暮れ正月は、大晦日に友人を家にご招待(というほど大げさなものではなく)して

簡単だけれど年越しそばを作って食べ
ゆっくりおしゃべりしたり、肩や背中をほぐし合ったりしながら年を越した

元旦は筑前煮とお雑煮以外は出来合いだけれど、お節を用意し
また友人とゆっくり頂く

年が越せると何かが卸せる気がする
別に何が大変だったとか、それで何が具体的に変わるということもないのだけれど、ある種の「時間」は「越せた」のかもしれない

大晦日と元旦、一緒に蕎麦食って初詣行くか?と声をかけてくれていた叔父と叔母は、元旦に三嶋大社へ詣でて来たと、2日にご当地のお団子を届けてくれた。

届けてもらいついでに、一緒に八潮の方までひとっ走りして夕飯をともにする。
16で免許を取ってから、ひたすら祖父の足となり、うなぎが食いたいと言っちゃあ浜名へ、
蕎麦が食いたいと言っては戸隠へ、なんてことを昭和30年代、まだまだ車もそう多く走っていない頃からやっていた家だ。
隣の県なんてご近所なのだ。

環七で爆走中にスリップして、気づいたら反対車線をトラック目の前にバックで走っていたなんて大昔の叔父やっちゃいました伝を大笑いで聞きまくり、今年もどこまで走っていくのやらと思いながらの帰り道、かわいい真っ赤なアルファロメオの老顔を、たぶん新車で買ったんだろう今時のかわいらしい軽にがっこりつぶされた。

相手はまじめなお兄さんで、「僕の信号無視でした」と、事故を起こしたショックで腰が抜けそうにがくがくもしながら申し訳なさそうに、かつこちらがどういう人間なのか未だ分からずおびえながら謝っていた。
袖ヶ浦辺りに帰る途中だったらしいが、高速下の左折後の二重信号を見逃して、右から突っ込んでくるかたちだった。

相手もこちら3人も全く怪我無く何よりでした。
こちらは、顔面つぶれ、ラジエーターとエンジンがやばそうで、左の扉も殆ど開かなくなっている。レッカー&タクシー。

お兄さんの軽も左の後部扉が浮き上がり落ちそうなほどべっこり、お兄さんの気持ちと同じくらい凹んでいた。
その車で袖ヶ浦まで帰れるのかと、おまわりさんに聞かれても、「だいじょうぶです。だいじょうぶです。」としか言えない気持ちも分からなくもないが、隙間風で寒いとおもうぞ、その車。

事故現場まで来てくれたタクシーの運ちゃんもまた、「さっき通りかかってたんですよー。パトカーが見えたんで。あー、お正月からやってるなーって。」って、分かっててうろうろしてたのか、あの辺りを。こちらもさっそく「次は(車)何にするのー?」「ラテン系は相性悪いかもね。短命。」「でももう少し乗りたかった。アルファロメオ。」「赤、かわいかったねえ。」
にぎやかでした。

「2日から厄落としになったね。」





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